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ストーリー

そのほかの旅打ち記
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第2章 愛しい人へ

 ホテルの前の国道を5分ほど南に走ると、右手に小さな市役所が見えた。目指す大村競艇場は、その脇の道を通りぬけた先にあった。
 大村競艇場は全国に24ある競艇場のうち、もっとも西に位置し、競艇発祥の地として知られている。それだけ伝統のある競艇場なのではあるが、地理上の不利もあって売り上げは最下層に属する。売り上げが低いために施設を改善できず、施設が整わないので大きなレースを開催できない。大レースを開催できないから売り上げが伸びない、といった悪循環に陥っている。正面から陽光を浴びてその姿をさらすスタンドは、お世辞にも立派なものとは言えなかった。来場するファンの数とのつり合いを考えれば、この程度の設備でじゅうぶんなのかもしれない。

 この日は女子リーグ戦の最終日だった。その名の通り女子選手だけで争われるシリーズである。競艇の女子選手は約140人ほど、全選手のちょうど1割を占める。もちろん男子選手に混じって走ることもある。体重の下限が男子選手より5kg低いことを除いては(体重が軽いほどエンジンの出力を生かすことができるので有利)すべて男子と同じ条件のもとでレースを走る。
 女子選手にはあまり詳しくないこともあって、朝からさっぱり的中しない。走るのは6艇、買い目は全部で30通りしかないから当てやすいだろう、なんて思われがちだが決してそんな生易しいしいギャンブルではないのだ。

 スタンドから見渡す競走水面は青々としていて、真夏の青空と溶け合っている。真正面に見える小さな島の上を、ときどきジャンボジェット機が大きな腹を見せながら北の方角へ高度を下げて行く。ここから車で十分ほどの距離にある大村空港に着陸するためだ。周囲の聞き慣れない方言に包まれながらそんな景色をぼんやり眺めていると、時の流れが次第に速度を落としてゆくような気がする。

 旅先の魅力を語るとき「時間の流れ方が違う」といった言いまわしをしばしば聞くが―南国の小島を語るときに多いように思う―、つまり、日常生活の拠点から遠く離れることによって、自分を束縛している仕事だとか人間関係だとかいった現実から解放され、それによって生じる非日常感や非現実感が心身を弛緩させるからではないかと思う。
 私に限って言えば、時の流れを遅らせるためには、距離の隔たりに加えて、ギャンブル場という空間が不可欠であるように感じる。この空間を、伊集院静氏は「夢は枯野を―競輪躁鬱旅行―」の中でこう表現している。

 仕事も何もかも大成功している人間は、あまり競輪場では見かけない。それは一時羽振りの良い人は見かけるが、だいたいは何とか生きているタイプの人が多い(私の周囲に限ってだが……)。そういう人を見ていると、人生で若いうちに大成功をしたような人はいない。といって皆不遇な暮らしをしている人ばかりでもない。普通の人なのだ。しかしいつか自分にも何か光明が当たるのでは、と思っている人が多いように思う。
(「夢は枯野を・横浜・花月園」より)

 こんな空間が私にはたまらなく心地よいのだ。

 舟券は相変わらず当たりを引き寄せることができず、崖っぷちに追い込まれて挑む第12レース。今日の最終レースだ。大きく負けているときは一発逆転を狙って大穴を狙うのが賢明だが、残念ながらこのレースは荒れそうにない。仕方なく人気の寺田千恵を中心にして5点買った。結果、寺田―海野と入って1040円の配当。的中はしたが1日トータルでは少しマイナス。ひとつ取れただけでもよしとすべきだろう。明日へのモチベーションがまったく違ってくるからだ。

 この日はMさん宅に泊まることになっていた。Mさんは会社の同じ課に所属する6つ年上の先輩だ。「夏休みに大村競艇もまわるんですよ」と電話した私をMさんはこころよく実家に招待してくれた。普段は病院で過ごしているが、ちょうどこの日は実家に戻るという。てきぱきと仕事と私への指導をこなしていた完璧主義のMさんは、数年前から鬱気味で数週間単位で会社を休むようになった。今年の春から症状が悪化して、実家のある長崎に帰って療養していたのだった。

 長崎自動車道に接続する有料道路を下りた、少し先のコンビニエンスストアで、MさんとMさんのお父さんに笑顔で迎えられた。
 Mさんの実家は市街から少し外れた高台にあった。先にお風呂をいただいて(さらにはMさんのお母さんには洗濯までしてもらった)、クーラーの効いたリビングでMさんとMさんの両親と乾杯した。
 Mさん一家はいろいろな話をしてくれた。食卓に並んだ珍しい食材のこと(キビナという長崎近海でとれる魚の刺身や、脂がしっとりとのった長崎牛のステーキ)、長崎は災害の多い地で、長崎大水害のときはMさん宅の自家用車がぷかぷかと道路を浮かんで流れていったこと、そして水が引いた後、ほとんどあきらめてエンジンをかけてみたらなぜか一発でかかったこと、平均県民所得は沖縄についでワースト2であること――。笑い話から決して笑えない話まで、すべてを楽しく明るいストーリーにして語ってくれた。ビールをぐいぐいと飲むMさんは、思いのほか元気に見えたが、病院にいる間は薬の作用もあって寝てばかりの日々だと言っていた。

 Mさんがトイレに立った時、お父さんがぽつりとつぶやいた。
 「あいつ、あれでも高校時代は野球部のエースやったけん、まさかこげなことになるとは思わんかった」
 私は、はっと息を飲んだ。
 「仕事を一生懸命やるのはええのよ、けどね、息抜きは絶対せなあかんよ。あなた、真面目そうだから心配なのよ」
 お母さんが、まるで息子を諭すような目をして私に言った。
 真面目だなんてとんでもない。私は、遊びの息抜きに仕事をしているような自分が恥ずかしく思えて、お母さんの目を真っすぐに見ることができなかった。
 夕食が終わり、礼を言って二階の部屋へ上がった。薄い夏ふとんの上に仰向けに転がると、お父さんとお母さんの言葉を思い出した。子を思う親の気持ちをあれほどストレートに感じたのは初めてだった。我が子に伝えきれない愛を私に打ち明けられたようで、だけど私にはどうにも重すぎて抱えきれなくて、そしてMさんに何もできない自分の無力さが虚しくて、気づくとぼんやり見つめていた天井が涙で歪んで見えた。

 翌朝、Mさん宅を辞するとき、玄関先で
 「Mをよろしくお願いします」
 とお母さんに頭を下げられて、私はすっかり混乱してしまった。実家にも帰らず競艇場を旅して回っているような自分に頭を下げるお母さんにどう答えたらよいのかわからなくて、「いえ、こちらこそお願いいたします」と言うのが精一杯だった。
 病院へ戻るMさんとお父さんとは大村湾を見下ろすパーキングエリアで別れた。
「それじゃ、気をつけて行けよ」
 2人の乗った車を見送った後、私はしばらくそこにいた。小さな芝生の展望スペースから、波の無いまったりとした海を眺めていると、無邪気に刺身を頬張るMさんの横顔が浮かんでくる。
 「大村の海は内海じゃけん、波が無かよ」
 いつのまにか波立っていた私の心も鎮まってゆくような気がした。





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